故事成語厳選

 焚書坑儒 ふんしょこうじゅ 

 意味:

秦の始皇帝が、全国の好ましくない図書を焼き捨てさせ、政策に批判的な学者たちを穴埋めにした故事から、 徹底的な言論弾圧や思想統制の代名詞となった言葉。

中国語の発音:

 語源

紀元前221年、秦は他の六大強国を滅ぼして、中国最初の統一国家をつくりあげた。 その領域は、東の遼東半島から万里の長城の北を経て、西は甘粛(かんしゅく)省の蘭州(らんしゅう)付近から 南方のベトナムあたりにまで及んでいた。始皇帝はこの広大な国家を運営していくために、 それまで国ごとに異なっていた度量衡(どりょうこう)の単位・文字の書体を、整理し統一した。 さらに、全国的な幹線道路を整備し、車の規格を一定にさだめて交通・運輸の便をはかった。

このように経済上・文化上で全土を打って一丸とする施策を精力的に進める一方、 全国を郡と県に分け、皇帝が官吏を派遣して直接に統治する「郡県制」を採用し、政治的にそれまで例のなかった 中央集権国家の体制をつくりだした。

これによってもっとも大きな打撃を受けたのは、特権的な身分を世襲してきた旧支配層である。 この旧勢力の立場を代弁するのが、「封建制」に基づく家族的国家体制を擁護する、儒家(じゅか)と呼ばれる学派の学者たちだった。 儒家の政治の出張と鋭く対立したのが、合理性を強く求める法家―法治主義者たちである。始皇帝による改革は、 儒家と法家の思想闘争の具体的な現れでもあったのである。

紀元前213年のある日、始皇帝は咸陽宮で宴会を開いた。博士七十四人が出席して国運の長久を祝ったが、 文官の周青臣(しゅうせいしん)が「郡県制」を採用したことが称讃した。始皇帝は喜んだが、斉人の博士淳于越(じゅんうえつ)は、 皇帝の子弟を諸侯に封じて皇帝を助けていく封建制度をとるべきで、周青臣の郡県制賛美論を批判した。 これについて宰相の李斯(りす)は、各王朝の制度は同じではない。それは時代が異なるからで、 時代が発展する以上、制度も改めるべきとし、また、博士が今を学ばず古代に学ぶのは、古代を利用して、現代をそしり、 人民を惑乱するのが目的だといって、三十日以内に個人の所蔵する「詩経」「書経」および百家の書はすべて焼き払い (医学、卜筮、農業の書物は除いた)、 孔子の書き改めた「詩経」「書経」を云々するものはすべて死刑に処すべきだと提案した。始皇帝はこれに同意した。 これが「焚書」といわれるものである。

また始皇帝の寵愛した不老長生の方士の侯生(こうせい)と盧生(ろせい)が始皇帝の不徳を攻撃して逃げた。 怒った始皇帝は、咸陽に怪しげな学者がいるのを突き止めて逮捕し、禁令を犯したもの四百六十余人を穴埋めにした。 これが「坑儒」といわれるものである。

 中国語訳

公元前221年,秦灭亡了其他六大强国,建立了中国第一个统一国家。其领域东起辽东半岛,经由万里长城之北,西至甘肃兰州附近, 南至越南区域。秦始皇为了治理这样一个大国,不仅统一了在此之前各国各异的度量衡单位和文字书体, 并且为发展交通运输业,还整备了全国的干线道路和车辆规格。

就这样,秦始皇一方面在经济和文化上全力推进全国统一,一方面又把全国分成郡和县,采取由皇帝派遣官吏来直接统治的「郡县制」, 创立了政治上史无前例的中央集权制国家制度。

为此,受世袭特权的旧统治阶层深受打击。而为这些旧势力阶层代言的,就是拥护「封建制」家族式统治体制的儒家派学者。 与儒家派的政治主张坚决对立的是,欲求合理性的法家―法治主义者们。秦始皇的改革可以说是儒家与法家的思想斗争的具体表现。

公元前213年,有一天,秦始皇在咸阳宫摆宴会,招待七十四个博士出席庆祝国运长久。文官周青臣称赞采用「郡县制」, 秦始皇很高兴,可齐人博士淳于越说,应该采用封建制度,封皇帝的子弟为诸侯来帮助皇帝,批判了周青臣的郡县制赞美论。 对此,宰相李斯说,各王朝有各王朝的制度,那是因为时代不同了,既然时代发展了,制度也就应该改变,博士们不学今只学古, 是想利用古代来毁谤现代,祸乱人心。提议要在三十日之内烧毁所有个人所藏的「诗经」和「书经」还有百家之书 (医学,占卦,农业用书除外)。对孔子改写的「诗经」和「书经」再发表议论的人要处以死刑。秦始皇同意了这个意见。 这就是「焚书」的由来。

另外,因秦始皇所宠爱的两个不老长生道士侯生和卢生攻击秦始皇无德并潜逃,使秦始皇大怒,搜查拘捕了咸阳境内形迹可疑的学者, 将犯了禁令的四百六十余人全部坑埋。这就是「坑儒」的由来。




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